朝鮮通信使は、室町将軍からの使者と国書に対する返礼であり、永和元年(1375)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりです。

 

 

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15世紀半ばからしばらく途絶えて安土桃山時代に、李氏朝鮮から豊臣秀吉が朝鮮に出兵するか否かを確認するため、秀吉に向けても派遣されています。

 

 

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その後の文禄・慶長の役によって、日朝間が国交断絶となったために中断されました。その後、対馬藩の努力によって慶長12年(1607)、江戸時代はじめての通信使が幕府に派遣され再開となりました。

 

 

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義の意味では、室町時代から江戸時代にかけてのもの全部を指しますが、一般に朝鮮通信使と記述する場合は狭義の意味の江戸時代のそれを指すことが多いです。

 

 

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通信使は将軍の代替わりや世継ぎの誕生に際して、朝鮮側から祝賀使節として派遣されるようになりました。慶長12年(1607)以来、文化8年(1811)の200年余りの間に計12回の通信使が派遣されていますが、文化8年(1811)に通信使が対馬までで差し止められたのを最後に断絶しました。

 

 

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一行の人数は、毎回300〜500人の大使節団からなりました。

その中心は、李朝朝鮮政府が選び抜いた優秀な官僚たちで、随行員には美しく着飾った小童・その芸に秀でた楽隊・画員(絵師)・武官・医師・通訳などが加わっていました。

 

 

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通信使は釜山から海路、対馬に寄港し、それから馬関(下関)を経て瀬戸内海を航行し、大坂からは川御座船に乗り換えて淀川を遡航(そこう)し、淀よりは輿(三使)、馬(上・中官)と徒歩(下官)で行列を連ね、陸路を京都を経て江戸に向かいました。

 

馬関まつり(08.08.23)カモンワーフ会場で、で朝鮮通信使行列が再現されました。

 

 

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