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 文久3年(1863)4月、高杉晋作と共に萩・松下村塾の双璧と称された久坂玄端は各地の浪人などを引き連れ、京都から下関へ帰り長泉寺を宿舎にしましたが、のちに細江の光明寺にうつりました。この一団は「光明寺党」と呼ばれ、高杉晋作が奇兵隊を結成した際、その母体となりました。

 

所在地  下関市細江町1丁目7-10

 交通   JR下関駅からバス2分「細江町」下車、徒歩2分

 問い合わせ 光明寺 083-222-0156

 

 

 

 

 

 

カテゴリー: 下関駅周辺